海と運河がつむぐ7つの小樽の物語

02 北前船 きたまえふね

一攫千金の夢を乗せた船と
活気にあふれた人々の記憶。

 江戸時代中期、大坂と北海道を結ぶ日本海回りの航路が整備されると、地域による価格差を利用し、立ち寄る港で様々な商品を売り買いしながら航海をする「北前船(きたまえぶね)」と呼ばれる商船が現れました。上方(西日本)からは、米、塩、砂糖、酒、反物などあらゆる生活物資、北海道からは昆布、ニシン粕、鮭などが運ばれ、京都や大阪に見られる昆布だしのように様々な文化も生まれました。

 陸路が発達しない時代、沢山の物資を運ぶ北前船はまさに「動く総合商社」。日本経済を支える大動脈として各地に大きな繁栄をもたらしました。勇気と商才があれば成功を手にできるチャンスとあって、一攫千金を夢見、危険を伴う航海へと繰り出し、富を築いた船主も少なくありませんでした。

 明治、北海道開拓の玄関口として栄えた小樽の港は、北前船で賑わいます。小樽は、北前船を取り巻く多くの人々の拠点となり、まちは発展していきました。

 北前船の全盛期に船主たちが次々と建てた大規模な石造倉庫や社交場としてにぎわった料亭、神社仏閣への奉納物などが、今も数多く遺されています。

小樽観光で楽しむ!

祝津の日和山はかつて船乗りたちが出航前に訪れ、天候や空模様を見ていた場所。灯台も航海の目印になっていました。博物館運河館には北前船関連資料が多く展示されています。

  • 旧小樽倉庫( 小樽市総合博物館運河館、小樽百貨UNGA↑)
  • 日和山
  • 住吉神社